潮江天満宮と高見山

潮江天満宮

天満宮は日本各地にあり菅原道真公が奉られていますが、この菅原道真に関係のある場所が高知にもあります。それが潮江天満宮と高見山です。

潮江天満宮創建の謂れ

潮江天満宮の飛梅 “東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘れそ”で良く知られた菅原道真が、延喜元年(901年)に政敵藤原氏によって九州の太宰府に左遷された事は良く知られています。

潮江天満宮の楼門 実はこの時、同時に嫡子である菅原高視(タカミ)も都を追われます。そして、高視が流された先が土佐の国でした。高視は、土佐権守(トサゴンノカミ)として、現在の高知県高知市の潮江地区の現在の高見山の中腹に居住します。

延喜3年(903年)の2月25日に父である菅原道真が亡くなり、道真の遺品が菅原高視に届けられました。 高視は、届けられた遺品を収め、これをご神体として潮江天満宮を創建したと伝えられています。このような事から、潮江天満宮の祭神は、菅原道真、菅原高視、北御方となっています。

楼門を見上げた所にある鳳凰 楼門の天井 龍神池

高見山の謂れ他

高見山遠景 高知市の潮江地区には高見山と呼ばれる山がありますが、これは、この山に菅原高視の住まいがあったので、このように呼ばれるようになったそうです。ちなみに、一昔前までは、春秋の彼岸の時期になると山火事になる山として、高見山は高知市民に知られていました。尚、高見山の正式名称は皿が峰ですが、高見山の呼び方の方が良く知られている様に思います。

山の山頂(といっても低い山ですが)近くには、通称ライオン岩と呼ばれる岩があり、最近ではロッククライミングの練習にも使われています。昭和50年頃までは、山の中腹にヤギ小屋があり、まるでアルプスの少女ハイジの様な生活をしていた一家がいらっしゃいました。

高見山の北に連なる山は筆山(ひつざん)と呼ばれ、代々の土佐藩主や、土佐藩の産業基盤を築いた野中兼山、女性参政権を求めた楠瀬喜多等が眠る場所でもあります。筆山から高見山には尾根伝いに簡単に歩いて行けます。高見山は禿山で殆ど樹木が茂っていませんので、眺望がよく浦戸湾を一望することができ、とても気持ちの良いところです。筆山には駐車場がありますので、ここに車をとめて高見山、筆山を散策されるのも楽しいと思います。

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