シットロト踊り

神社での踊り

シットロト踊りは、地元の漁師たちが、室戸市の漁業にゆかりのある場所およそ30箇所を、魚の供養と豊漁祈願のために、早朝から夕方まで踊り巡っていくもので、旧暦の6月10日に行われます。(新暦では、7月のいずれかの日に当たることになります。) この踊りは1963年(昭和38年)に県の無形民俗文化財に指定されています。

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踊りの由来

扇子を開いて

シットロト踊りの由来にはいくつかの説があります。

300年くらい前の江戸時代に、奈良師という集落の地蔵堂の庵主が、ある夜海辺で涼を取っていたところ、聞きなれない唄を歌いながら浜を歩いている人が居ました。この唄に惹かれた庵主は、声の主の下に駆け寄りました。見ると声の主は僧で、快く庵主に唄と踊りを伝授しました。その僧の名前が「三蔵」であるとか、庵主の名が「三蔵」であったとか言われています。その後、旧暦の6月10日に近傍の神社や仏閣を回って、魚の供養をする「シットロト踊り」がはじまったという説の他、奈良師の浜で助けられた人魚が、お礼に踊りを踊り、不漁続きの時に漁師がその踊りを真似て踊ったところ豊漁になったという説や、三蔵という漁師が魚供養と豊漁を願い、躍り始めたという説もあります。

シットロト踊りの衣装

華やかな笠を身につけて

シットロト踊りは風流(ふりゅう)と呼ばれる芸能の一つとされています。「風流」とは、趣向を凝らした衣装をまとい、踊ったり歌ったりすることで、神にお祈りをする行事の一つです。その流れを継ぎ、踊り手たちの衣装は、そろいの浴衣、菅笠(すげがさ)、手甲(てっこう)、足袋に草鞋(わらじ)といった形です。浴衣の裾には波頭の絵のほかに、前には鯛、後には鰹の絵が描かれています。衣装で最も目を惹く菅笠には、「災いが去る」といった験を担ぎ、様々な色の「猿」の人形が縫い付けられています。昔は、災いを避けるために、見物客が笠からこの人形をちぎって取って行ったそうです。現在は、この笠を被ると無病息災になるといわれており、休憩の時に見物客が笠を被らせてもらう光景もしばしば見られます。また笠の縁には様々な色の紙総が垂れており、造花や自然の花で笠が華やかに飾り付けられています。

どんな踊り?

鐘を打つお囃子と太鼓

この踊りは、鉦と太鼓、音頭とり(各1名)を中心にして、踊り手たちが円を作ります。そして唄や鉦(かね)などのリズムに合わせて、扇子を開閉しながら踊っていきます。踊り自体には派手さや、緩急の変化などは無く、一定のリズムで10分から15分間踊りが続けられますが、漁の安全と豊漁だけではなく、魚への供養という人間の真摯な気持ちが現れている踊りのように感じます。

なんと朝4時半から

駐車場から神社へ向かう踊り子

踊りは朝4時半から始まり、漁業にゆかりのある各社寺や、漁労機械を製作している会社や、地元の漁協、踊りの由来の舞台ともなった奈良師の浜などを夕方まで巡ります。各場所で踊りを踊った後には、その場所にある会社や地元の人からの飲み物等(酒や水、ジュース)のお接待があります。軽くこれらを口にした後、踊り手である漁師は、次の場所へと移動をします。 昔は、歩いてこれらの箇所を巡っており、草鞋が破れてしまうため予備の草鞋をいくつか腰にぶら下げて踊っていたそうです。現在では車で移動をするため、残念ながら腰の草鞋を見ることはできません。この日は、踊りが終る夕方まで漁に出てはいけないそうで、「夕方、踊り終えた後に漁に出て行く船を見送る時の気分は格別」と、かつての踊り手。暑い最中に、歩いて回って踊っていた頃は尚更だった事でしょうね。

動画

【参考文献】

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