お弓祭り

弓を引く若者

北川村の星神社の「お弓祭り」は、2年に1回、西暦の奇数年の1月8日に開催され、豊作・悪魔退散を祈願し、地域の若者12人によって1008筋の弓が放たれます。
祭祀記によれば『北川村高法寺境内妙見三社之午王祭祀三年に一度百手射礼』と有り、神宝の金幣銘には『延喜12年(912年)弓祭りをおこなう』とあるそうで、昔は3年に1度、和田地区、島地区、そしてここ木積地区と順番に、お弓祭りを行っていたそうです。しかしやがて、島地区で行われなくなり、和田地区も人を射るという事故が起きた(地域の人の話では戦後すぐの事だとか)ために、行われなくなったそうです。尚、この祭りは、昭和39年に高知県の無形民俗文化財に指定されています。

星神社

お弓祭りの行われる星神社は北川村木積地区にあります。海岸を走る国道55号から奈半利町を経由して、車で約20分位でしょうか。祭りの行われる当日は、道の途中にお弓祭りが行われる星神社はこちらといった案内があり、迷う事はありません。あまり広くはない一車線の道路を走っていくと、神社下に着きます。

車を降りて神社に向かう道を見上げてあまりの急な坂道にため息。もう一本ある昔ながらの石積みの階段は、更に厳しい様に思え、坂道を選んで歩きましたが、途中から足が上がらなくなるかと思いました。日頃、運動をしていない人は、この坂道はきついと思います。

坂を上がりきったところに、こじんまりとした境内があり、奥に社殿があります。神仏混交の名残りでしょうか、境内には小さなお寺もあります。地域のご老人の中には「妙見寺の弓祭り」と言っていた方もいらっしゃいました。神社から配られた「星神社由来」には、『古来より北川郷十五村の総鎮守にして、又郷中木積村の産土神なり』や『昔時は二社の妙見寺と称し、明治元年戌辰三月神仏混交分離の達しに依り星神社と改める』とありました。

星神社は急な坂道の上 星神社への急な階段 妙見寺

射手は地区の若者

昔は、地区の長男だけが矢を射ることができたそうですが、地区の人口が減り、若者が減っていく中、「そんなこたー言いよったら祭りができなーね」というおんちゃんの言葉が表している様に、今では、長男でなくても射手になれるそうです。2007年(平成19年)の射手の年齢は、13歳〜43歳で、崎山、宗の上、長山、柏木、西谷、回り弓、木積の若者でした。これら12名の若者が、主川(オモガワ)と谷川(タニガワ)に分かれて、合計1008筋の矢を射ります。

若者は、射手の役目を果たすために、元旦の朝から神社の下を流れる奈半利川で禊を続けて祭りの日に備えてきたそうです。北川村は高知県の山間部で結構寒い地域。厳寒の中、禊をすると聞いただけで、伝統を守る若者の姿に頭が下がる思いがしました。

進行表

午前8時から社殿では神事が行われ、弓が射られ始めるのは午前9時頃からです。私達が到着した頃は、丁度、本殿で祭典が行われている最中でした。射場は弓を射る若者を静かに待っています。射場の裏にある親族が座る場所もまだ、人気がなく静かです。

境内から社殿を望む 準備が整えられた射場 射場の後ろ

神事が済むと、本殿から射手や家族が出てきました。鳥居の上に長い黒い布の付いた黒い棒を取り付けていましたが、これが何なのか、何を意味するのかは、聞きそびれました。この鳥居につけた棒以外にも鳥毛がついた棒も一本、持って出てきて射場の端に建てられてました。

動画は、神事が終了して、本殿から皆が出てきた所から午前中の神事の最後に行われる巫女の舞までをコンパクトに納めたものです。(とは言え、約14分あります)

神事 社殿から出てくる 射場の後ろ

射場入り

まずは、若者の一人が「三度弓の儀」を行います。この時の矢は、注連縄を越えてはならないと決められているそうです。続いて「神頭・雁股の矢」で、「神頭の矢」とは射頭(一番本殿から離れた場所の射手)が一本の矢を境内の森の中に放つのを言い、これを拾ってはいけないとされています。「雁股の矢」とは、射詰(本殿に一番近いところの射手)が弦をひいたまま、弓を左右に振り、矢を放たず納めるもので、悪魔を払う儀式だそうです。

次に、「吸物膳」として、茶、吸い物、冷酒が振舞われます。そして「初的」。榊の枝に天狗の面と赤布をつけた的を射ります。宮司のお祓いと祈念が終った後、射手の腕を競う「千八筋」の弓射が始まります。

射主勢ぞろい 赤い布を付けた榊 的

的は人形、賭けるは反物、当たれば練り

地域の人達が、的となる人形と共に反物を賭けます。中央写真の丸い射的周辺に掛けられた赤い布がこの時賭けられた反物で、下に置かれた塊が的となる人形です。この時はドーモ君が的にされていました。この的を射手が順番に射っていきます。見事的を射抜き、跳ね飛ばしたら、射手の後ろで酒を酌み交わしていた親族が射場に出てきて「練り」をします。団子になって押し合いへし合い、倒しあいとしているといった感じでしょうか。射抜いた射手の親族には、この時賭けられた反物が渡されますが、これを裂いて皆、首に撒いていきます。

狙いを定める射主 的 練り

左の写真のおばあちゃん達は、色んな色の反物を首に巻いてました。見事、射手が射抜いて手に入れた反物です。どうして反物を賭けるのかと尋ねたところ「さーてねー、昔は布が高級品やったきやろうかねぇ。けんど、こんなに裂いてしまうがじゃもん、めっそうなもんは作れんわねー。あんたも巻いていきなさい。縁起物やき。」と言って私の首にも赤い布を巻いてくれました。反物と言っても木綿の布ですが、一昔前までは、布が貴重だったという事だろうと思いました。別のおばあさんに聞くと、足の下に敷く様な物以外の物(枕カバーや鏡掛け等)に作って使った方が良いという事でした。

射場の後ろでは、魚や御寿司等が見学者にもふるまわれます。通るたびに「食べていきなさい。縁起ものじゃき」と手渡してくれます。或おんちゃんは、「お弓様の食い逃げと昔から言うき、遠慮するには及ばん」と言いながら、焼きたてのカンバモチを勧めてくれました。

首の布を巻いたお婆ちゃん達 親族席 おいしい振る舞い餅等

午後は…

昼に巫女の舞があり、午後からは「割り膝」(両膝をついて弓を射る)や、「投げ出し」(膝をついて左足を投げ出し一筋放ち、次に右足を投げ出し二筋目を放つ)や「毘沙門の的 観音堂の僧職の的」(中心黒丸が10点、次が5点、次が1点で、谷川と主川が点数を競う。谷川が勝つと、その年は縁起が良いと伝えられている)等あるそうですが、今年は、巫女の舞を見た後は、帰ってきてしまいましたので、レポートはここで終わりです。(2007年2月5日)

動画

2007年

2009年

2009年 撮影・編集:2010年(山本かつお)

メモ

取材日:2007年

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