武市半平太(瑞山)

武市半平太(瑞山)像

武市半平太(たけち はんぺいた)(1829年〜1865年)。
土佐勤王党の盟主。号は瑞山(ずいざん)、通称は半平太、諱は小楯。1829年9月27日に長岡郡仁井田郷吹井村(にいだごうふけいむら)に生まれました。国学者・鹿持雅澄(まさずみ)は義理の叔父にあたります。

土佐勤王党結成

武市半平太旧宅 半平太の生家は、「白札(上士と下士の中間身分)」と呼ばれる家格でした。幼少の頃から文武に優れた人物であったと言われていますが、まず、半平太は剣士として知られます。嘉永3年(1850年)に、吹井村から祖母と妻の冨と共に新田町田淵(現高知市)に移り住み、安政3年(1855年)の春に道場を開きます。

武市半平太邸および道場後の碑 その後、江戸の道場に行き、江戸で勝海舟門下の大石弥太郎(土佐出身)等と交わります。江戸で長州出身の久坂玄瑞や薩摩出身者達と交わるうちに、半平太は、同志の集結を行う事を考えます。そして、文久元年(1861年)8月、江戸留学中の土佐出身の尊皇攘夷派の同士と共に、土佐勤王党を結成します。翌年9月 、半平太は土佐に帰郷し、同志を募ります。坂本龍馬や田淵道場の門弟達等192名が血盟します。

上士3名
陪臣17名
白札15名
下士(郷士層)50名
下士(その他)64名
庄屋19名
その他7名

大石弥太郎の起草によるその盟約書には、「老公(山内容堂)の臣たるものが一致団結して帝の心をやすめ、老公の志を継ぎ、万民の患えを払おう」といった趣旨の事が書かれています。これは、安政の大獄で山内容堂が蟄居を命ぜられた(1859年)事とこの起草文は関係していることを物語っています。藩主の志を継いだ活動という位置づけから、土佐勤王党には多くの者が参加しやすかったとも言えますが、土佐藩独特の身分制度の「上士」と「下士(郷士)」の中間に位置する「白札」である武市半平太が盟主であった事から、土佐勤王党への参加者は郷士や庄屋階級の者達が中心となっています。容堂の側近・小南五郎右衛門の様に上士身分で援助をする者もいましたが、彼らは土佐勤王党には参加をしませんでした。尚、松岡司氏の研究によると土佐勤王党の階層構成員は右記表となるようです。

土佐勤王党血盟者碑

半平太が作った土佐勤王党は、土佐藩を挙げて尊皇攘夷の方向に向ける事を目指していました。半平太らは、薩摩や長州に遅れる事無く尊皇攘夷を実行するよう藩の首脳部に何度も進言します。しかし、開国論と公武合体論をとる吉田東洋らはこの進言を退けます。

この時点で、半平太の目指す尊皇攘夷と容堂や東洋の開国そして公武合体の方向は異なっていたと言えますが、半平太らはあくまで尊皇攘夷にこだわります。この辺りは、土佐勤王党員から開国論者へと移って行った坂本龍馬らと大きく異なっています。

吉田東洋暗殺

半平太は東洋を排斥するため、藩の保守門閥層とも手を組み、文久2年(1862年)4月8日、那須信吾ら土佐勤王党員3人の刺客を放ち、東洋を暗殺します。東洋暗殺後、藩の人事が刷新されますが、藩中枢部の土佐勤王党支持者は、小南五郎右衛門他数名でした。その後の半平太らの働きかけが実った勅使の江戸派遣等もありますが、岡田以蔵等の刺客を使った京都での尊皇攘夷派のテロ行為等も行われ、京都の治安が乱れてきます。

投獄、切腹

武市半平太生殉節之地の碑 文久2年(1862年)閏8月、幕府は治安維持のため会津藩主松平容保を京都守護職に任命します。翌年4月、土佐に戻った容堂は、土佐勤王党よりの大目付小南五郎右衛門を解任し、6月には土佐勤王党の3人に切腹を命じます。そして、9月には半平太ら多数の土佐勤王党が投獄されます。尚、同志の中岡慎太郎が脱藩したのは、このタイミングです。田野町の清岡道之助ら23人は、元治元年(1864年)7月に半平太の釈放を求めて、北川村野根山に集まりましたが、全員捕らえられ斬首されます。この二十三士の墓は田野町の福田寺にあります。

元治元年、大監察の任についた後藤象二郎は、吉田東洋暗殺に関する審議を行います。そして、慶応元年(1865年)閏5月、半平太に切腹の命が下されます。同年5月11日、武市半平太、切腹。37歳でした。半平太らがつくった土佐勤王党は尊皇攘夷という志を成すことは出来ませんでしたが、幕末に、多くの人物を輩出しました。土佐の多くの若者を刺激し、藩だけではなく日本の将来や世界への目を開かせる大きな役割を果たしたのではないかと思います。

メモ

武市半平太の旧宅には、現在はご子息ではない方が住まわれています。見学の際には、現在お住まいの方の迷惑にならない様にしましょう。

武市半平太の命日である5月11日には、瑞山神社で墓前祭が行われます。

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