如月

針供養

お裁縫を休んで、折れた針や曲がった針など、よく働いた針を供養する日で、2月8日と12月8日に行われます。高知市の潮江天満宮等で行われているようです。

秋葉祭り

仁淀川町(旧仁淀村)で毎年2月11日に行われます。土佐の三大祭のひとつとも言われます。以前は旧暦の1月16日に行われていたようですが、人の集まりやすい祝日に変更されました。

練りと呼ばれる行列は、装束に身を包んだ人達がきらびやかです。また、長さ7メートル、重さ8キロ位ある鳥の毛が先についた棒を投げあう姿はダイナミック。寒いですが一見の価値あり!です。

野見の潮ばかり

旧暦1月14日の晩に須崎市野見湾で行われる祭りです。

この祭は、海の神様である竜神にその年の大漁と集落の繁栄を祈り、五色の短冊を飾った高さ15メートル余りの竹(幟)を集落の中央に立てます。そして、夜になると若者達によって、唄に合わせて悪霊鎮めの地搗(じつき)をしながら浜辺まで運ばれ、干潮時に沖に立てます。後日、その竹(幟)が沖方向に倒れると大漁、岸方向に倒れると豊作の年になると伝えられています。

旧暦が基準なので、現在の暦だと1〜3月の間を移動しますので、睦月、如月、弥生の各ページに記載しておきます。

庵谷(いおのたに)の百手祭

旧暦1月20日に大豊町庵谷の星神社で行われます。

旧暦が基準なので、現在の暦だと1〜3月の間を移動しますので、睦月、如月、弥生の各ページに記載しておきます。

伊野の大黒様(椙本神社春の大祭)

旧暦1月22日にいの町の椙本神社で行われる祭りです。伊野の椙本神社は、大黒様として日頃から人々に親しまれている神社です。この祭では、名野川神楽の奉納、獅子舞等が行われます。大黒様の舞の後に、福を得るために「わっはっはっ」と大黒様といっしょに笑い、その後、「幸福への御縁」を大黒様から頂きます。また、多くの参拝客は、小さな俵のついた稲穂を五穀豊穣のお守りとして買っていきます。

旧暦が基準なので、現在の暦だと1〜3月の間を移動しますので、睦月、如月、弥生の各ページに記載しておきます。
※現在は、旧暦22日ではなく、近くの日曜日に行われている様です。

堂の口開け祭り

2月最終日曜日に高岡郡津野町宮谷地区の明王寺薬師堂で行われます。津野町宮谷地区の人々が大きなわらじ(昔から地元の人は「金剛バッコ」と言う)を作り、地区の入り口に吊るす伝統行事です。

二十四節気に関係する事柄

旧暦では、一年を24等分して季節を表す節目に名前がつけられていて、これを二十四節気(にじゅうしせっき)と呼びます。

立春の前日。

高知でも豆まきをします。ただ、戸口に鰯や柊を吊す家もあると聞きますが、まだ、見たことはありません。恵方に向きながら太巻きをパクリというのも、元々、高知で行われていた習慣ではありません。所謂、商売の販促活動中で少しづつ浸透していっている様に思います。

高知では…、親から『厄年の人の写真や見につけてるモノ(ハンカチや靴下など)を深夜に四つ角に置き、振り返らずに帰ってくるとよいと言われているので、厄年の人がいる家では昔はやっていた』というような話を聞いたことがあります。近ごろは、ゴミを街角に捨てていると間違えられるので、やらなくなったのかもしれません。

二十四節気(にじゅうしせっき)のひとつ。旧暦では一年が循環する最初の日。日本で使われてきた旧暦は中国伝来のもので、いわゆる立春正月暦です。毎年の立春の平均日を取れば、立春が元日になるように作られているわけです。ただし、この暦法は月の満ち欠けの周期を基に組み立てられていますから、毎年最大30日の幅の中で立春の日付も移動します。つまり、立春は12月15日から1月15日の間に入って、今の暦では2月4日頃と決まっている立春も、旧暦では、ある年の立春が上記の30日の範囲でいつになるかは暦を作ってみないとわからなかったようです。

そういうわけで、元日よりも前に立春が移動した年は、年に春が二度来たわけで、これを年内立春と呼びました。また、元日と立春が重なる年もあり、元日立春と呼び、江戸時代には13回あったそうですが、江戸以前も平均すると大体30年に一度の周期になるようです。

二十四節気(にじゅうしせっき)のひとつ。2月中旬頃。雪が雨に変わる頃とされ、昔から農耕の準備を始める目安とされていました。

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