野良時計

野良時計

安芸駅から自転車で数分、おいしい空気にのどかな田園風景、時間をゆったりと感じることができる土居地区に、120年以上もの間、時を刻み続けた「櫓時計」、通称「野良時計」があります。

野良時計の起源

野良時計の説明板 現地に設置されている説明板によれば、土居村(当時)の大地主の息子として生まれた畠中源馬氏は、明治20年(1887年)、アメリカ産の八角中の掛け時計を見て時計の仕組みに興味を持ちます。そして、源馬氏は、自ら時計を分解して研究し、時計の仕組みを独学で学び、そして自作の大時計を作る事を決意。彼は幾度つなく改良を試み、分銅から歯車までのすべての部品を、たった一人で作り上げたと言われます。
つまりこの野良時計は、源馬氏の努力の賜物という事になります。

みんなの時計

野良時計周辺風景 当時は、時計がどこにでもある時代ではありませんでした。
源馬氏が作り上げた時計は、近くで農作業に勤しむ人々に正確な時間を告げ、そして人々を静かに見守ってきたことでしょう。このような事もあって、今でもこの櫓時計は「野良時計」という愛称で、地域の人々にとってはもちろんのこと、全国的にも観光資源として親しまれています。また、平成8年(1996年)には、国の登録有形文化財にも指定されました。

実は、時計の針は、向かって正面・右側・後ろと三面に付いているのですが、常に見る人を考えて、見やすい方向の針を動かしていたそうです。作った当初は、三面同時に稼動していたとも聞いています。(その後は一面のみ)

畠中秀雄さんと時計

野良時計遠景 平成16年(2004年)11月に、「120余年もの間動き続けた野良時計が止まった」という悲報が伝えられました。長年時計を守り、大事に管理し続けていた畠中秀雄さん(源馬氏の孫)が亡くなり、管理できる人が居なくなった為です。(この野良時計を動かすのは至難の業なのですね)

その後、止まったままの状態が続きましたが、平成17年(2005年)6月10日の「時の記念日」にちなんで時計が動かされました。亡き秀雄さんのご家族が協力して、約7ヶ月ぶりに時計が動き始めたのです。
以降、常に動いているとは限りませんが、豊かでのどかなまち並みに調和して静かに佇む野良時計は、120年以上の年月を経ているとは思えないほどの美しさで、思わず目を疑ってしまいます。

町の人たちにとっては、今も昔も待ち合わせ場所であったり、目印であったり、もちろん時間を確認する時計であったりと、生活の一部になっているようです。話を伺ってみると、時計が止まってしまった時はやはり寂しかったといいます。けれど、この先もずっとこのままで、町のシンボルとして、観光資源として残していきたい、とおっしゃっていました。
町のゆったりとした雰囲気と、町の人々に愛され、人々を見守る「野良時計」。この雰囲気を味わいに、一度足を運んでみてはいかがでしょうか?とても癒されますよ。

メモ

【お問合せ】

参考資料:安芸市公式サイト

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