吉良川の御田祭り

吉良川の御田祭り−地堅め

吉良川の御田祭りは、鎌倉幕府開幕当時、源頼朝が天下泰平、五穀豊穣を祈念し、全国津々浦々の神社で奉納させたと伝えられており、2年に1度、5月3日に行われます。この祭りで行われる古式祭典は、芸能史的に極めて貴重なものとして昭和52年に重要無形民俗文化財に指定されました。県内では、奉納行事の中で赤ん坊の人形を奪い合う演目がある為、子授かりの祭りとしても広く知られています。

御田祭りの様子(ダイジェスト)

早朝から昼まで

吉良川の御田祭りは『練(ねり)』で始まります。早朝から吉良川の町内各地で練を行い、昼前に吉良川の海岸で練を行い、清めの海水を汲んで、午前中は終わります。練は紋付袴を身に付け、一文字笠を被った8人で行います。地元の方の話では、昔、田のスズメ追いに使っていたというササラを手に持ち、円陣を組み、太鼓の音頭にあわせながら「ヨッピンピーロ、ヨッピンピーロ」と言いながら、時計周りとは反対方向に回っていきます。この時の手足の動きは、田を練る所作をしているのだそうです。グルグルと15分以上も練を行っていたと思いますが、最初はササラを鳴らさず回り始めて、そのうち1回振る、次は左右と中央で振ると変わっていきます。

海岸での練 清めの水を汲みに行く ササラと一文字笠

境内での奉納行事-殿とかしゃ

午後1時過ぎから、境内での奉納行事が始まります。奉納の行事は、主として田植えから収穫に至るまでのお百姓さんの仕事を演ずるものです。全部で14演目あり、この田遊びが五穀豊穣を願って奉納されます。これら14演目の中には、田楽や猿楽等が織り交ぜられており、一度でも狂言や能を見た事がある人は、共通点を見出す事ができるのではないか…と思います。各演目の合間に、宮司さんが出てこられ「今から行われる演目は…」と説明をして下さるので、大変わかりやすいです。

一番最初に行われるのが『殿とかしゃ』です。『殿』が編み笠を被り長く大きな刀を付け扇子を持って登場し、「かしゃ!かしゃ!」と叫びます。すると、『かしゃ』が「はい!はい!」と返事をしながら登場します。舞台の真ん中で殿がかしゃに次の演目を小声で伝えると、かしゃが参観者に大きな声で「次は○○を出しますぜよ」と言って回ります。

この殿とかしゃは、演目の間には必ず出てきます。奉納行事の進行役なのですが、舞台の真ん中で、殿がかしゃに小声で次の演目を伝えた後に、かしゃの頭を扇子でポン!ポン!と叩くと、かしゃが大きな刀をポンと跳ね上げる所作がなんともおかしく、狂言のご主人様と太郎冠者を思い出させました。

殿 演目を参観者に伝えるかしゃ 殿とかしゃ

境内での奉納行事-練収め〜翁

朝から吉良川の町内を周っていた練の『練収め』をします。

続いて『女猿楽』が苗取りを行います。同じしぐさを繰り返している様に見えますが、毎回、少しづつ型が違っているようです。この衣装は、婚礼時に女性が着る黒留袖に緞子帯を使っている様に見えました。

女猿楽の後、ぞろぞろと地謡を歌う囃子手が出てきて、正面一列に神前に向かって着座します。その後、『三番神』と『翁』が同時に舞台に出てきます。囃子手が「アアヤオ、アアンヤ」と繰り返し唱えるのに合わせて、三番神が舞います。良く見ていると、三番神が大きく足を踏み鳴らす所作をする時は「アアヤオ、アアンヤ」も大きく、すり足の時は小さいです。

三番神が終わると、待っていた『翁』の番です。同じく囃子手が「アアヤオ、アアンヤ」と繰り返し唱えるのに合わせて翁も舞いますが、地謡がワキ役、翁が太夫役となり、交互に文句を唱える所が大きく違います。

女猿楽 三番神 翁

境内での奉納行事-牛〜田打ち

『牛』は、牛の面を付けた人と牛使いが出てきて、田をすく所作をします。牛の面は前が見える様になってない様で、曲がり角の所作がまた滑稽な感じをかもし出していました。

『田打ち』は、烏帽子、直衣、長袴を付けています。木製の鍬を持ち、田打ち歌を唱えて田を打つ所作をします。

ここまでは、演目が終わると清めの水打ちの後に、殿とかしゃが出てきていたのですが、田打ちの後から、『田刈』の演目が終わるまでは、清めの水打ちをする人が出てこなかった様に思いました。(記憶が違っているかもしれませんが…)

牛 田打ち 清め水

境内での奉納行事-えぶり指し〜酒絞り

『えぶり指し』は、田をエブリで馴らす所作をします。この馴らす所作の時に「そうとめよう、そうとめよう」と大きな声で言います。

『田植え』は、奉納行事の中で一番たくさんの人が出てきます。早乙女の格好をした12名に、地謡が早乙女てがいとして小笹を持って後方に立ちますので、合計24名です。太鼓の音頭に合わせ早乙女てがいが田植え歌を唱えながら手に持った笹で、早乙女の被っている一文字笠をたたきます。早乙女は、これに合わせて、向きを振りかえながら、手に持った扇を苗に見立て、苗を植える所作をします。

えぶり指し 田植え 田植え

いよいよ『酒絞り』です。子供が欲しいと願う参観者の女性達が舞台にあがり、酒絞りでできた子供の人形を奪い合うのが良く知られています。過去、奪い合いが激しく、舞台から落ちた人がいたという事で、2007年には舞台の周囲にロープが張られました。水槽にそうけ柄杓を入れ、頭上に頂きながら舞台に出てきます。別にとりあげ婆が付きますが、後ろにくの字になってくっついて来ますので、良く分からないです。酒を絞る所作をしている間に神の子が生まれます。その神の子の人形をとりあげ婆が高くさし上げ「男の子ぢゃぁ〜」と言った後、軽く投げます。そして、この人形に女性達が群がり、争奪戦が始まります。人形は簡単にバラバラになるようになっていて、足だけや手だけを取って満足の人、本体をとろうとすざまじい争奪戦を繰り広げる人等がいました。

大体の戦況が見えた所で終わりの合図があり争奪戦は終わります。そして、バラバラになった人形の部位が集められます。ちなみに、この人形は木製でできています。人形が身につけていた赤い布は、裂いて参加者が持ち帰って良い事になっています。その後、舞台の奥の神殿に争奪戦参加者が集まり、元の様につなぎ合わされた木製人形を、一人一人抱かせてもらい、子授かりを願います。

酒絞り前を待つ女性達 酒絞り 酒絞り後の神事

境内での奉納行事-田狩り〜地固め

『田刈り』は、田打ちと同じ装束、面で行います(多分同じ人がやっていると思います)。田刈りの歌を唱えてから稲刈りの所作をします。田刈りの後から、又、清めの水が撒かれるようになった様に思いましたが、前半部分で撒いていた人とは異なり、白い衣装を身につけていました。

『小林』は、三番神や翁の時と同様に、地歌が着座します。囃子手が「アアヤオ、アアンヤ」と歌うのも変わりません。小林上野守是成の幽霊が現れ、戦いの武功を演じます。説明によると、能の演目にも『小林』の演目があるそうで、ここの小林は能等の洗練された物よりは更に古い物にあたるそうです。この事からも、能等が成立する以前からここの奉納が行われているという事が分かるそうです。

『魚つり』は、釣竿を持って現れます。境内を海に見立てて、そこに釣竿を垂れ、参観者が釣竿の先に付けてある魚をツンツンと魚が糸を引く所作をした後に離します。そして「大漁!、大漁!」と大きな声で言います。魚釣りの魚を引っ張らせてもらうのは、面白いです。

田刈り 小林 魚つり

奉納の最後は、『地固め』です。地固めの写真は、このページのトップに表示しています。三番神や翁、小林の様に地歌も着座しています。秘文を唱えてから、舞い始めます。囃子手が「アアヤオ、アアンヤ」と言うのは同じです。最後に、境内の参観者の方に向かい左手を上げ「再来年ござれ!」と叫びます(動画にもこのシーンを収めています)。これが、祭典の行事の締めくくりとなります。この後は、一切、この奉納行事の真似をしてはならないとされています。

太刀踊り

以上で『御田祭り』の祭典は終わりますが、江戸末期か明治の始め頃から、『太刀踊り』が奉納されるようになったそうで、更に太刀踊りが続きます。最初は木刀での棒踊り、途中から刀を使った太刀踊りとなります。地元の人の話では、真剣を持って踊っている人もいるそうです。両方合わせて約30分です。

動画

2007年−地固め

2007年−太刀踊り

メモ

『酒絞り』の子授かりの儀式(神の子の人形争奪戦)に参加をしたい人は、社務所で事前に手続きをします(3000円)。

地元の方に少しお話をうかがった所、奉納演目の役どころは家毎に決まっているそうです。御田八幡宮の近くに「おまつり館」という家があり、以前の写真を見る事ができましたが、確かに写っている人それぞれが2007年の役どころと同じでした。約800年も営々とこれらの祭典を伝えてこれたのも、こういった仕組みがあるからか…等と素人判断で思ってみました…が、一方でこの仕組みだと高齢化や過疎化等の影響がどのように現れるのか…気になりました。

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