柴尾の虫送り

横倉山を背景に進む柴尾の虫送り行列

6月第一日曜日に越知町柴尾で「虫送り」が行われると聞き行ってきました。

虫送りの起源

平安時代末期に活躍した斉藤別当実盛が寿永2年(1183)の篠原の戦いの際、乗っていた馬が稲の切り株につまずいたところを討ち取られた為に、実盛が稲を食い荒らす害虫になったという言い伝えによって行われる行事です。

農作物の害虫駆除、退散、その年の豊作を祈願して行われます。

柴尾の虫送り

午前中に大わらじを集落の人達で作ったそうです。昼過ぎに柴尾(しぼお)集落の中心にある一本杉の横にある観音堂に集まり、祈願をした後、虫送りの行列が出発しました。

「奉供養斉藤別当実盛稲虫退散五穀豊穣祈願」と紙に大きく書いた大幟を青竹に付け、大幟を先頭に、鉦、太鼓、大わらじ、「斉藤別当実盛悪虫退散」の小さい幟を手にした大人や子どもをお供に、行列は田んぼのあぜ道を進んで行きました。

昔は、太鼓と鉦の音に合わせながら、「斉藤別当実盛、稲の虫、送った〜!」と節を付けて唱えながら虫送り行列をしていたそうですが、見に行った時は、「斉藤別当実盛、稲の虫、送った〜!」を唱える人はおらず、ドンドン、カンカンと太鼓と鉦を打ち鳴らしながらの行列でした。

一本杉の観音堂と大わらじ 虫送り行列の出発 田んぼのあぜ道を進む虫送り行列

横倉山を背景に、田んぼをグルリと周り、行列は柳瀬川(やなせがわ)へ。柳瀬川にかかる黒岩橋の上から、虫送り行列で使った大幟、大わらじ、小幟を一斉に川にあましました。(※「あます」とは、川に投げ込むことで方言です。)

田んぼのあぜ道を進む虫送り行列 柳瀬川に大わらじ等をあます 柳瀬川を流れていく大わらじ

役目を終えて観音堂に戻ってきた子ども達に、沢山のお菓子が入った袋が配られ、子ども達はニコニコで帰っていきました。

農薬以上に虫送りの行事が害虫駆除に効果があるかどうかは分かりませんが、なんだか、豊作の神様が横倉山から見ている様な気がしました。

動画

2015年

2010年

2010年 撮影・編集:2010年(山本かつお)

取材日:2015年6月7日(掲載日:2015年6月9日)

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