五台山三ツ石地区
八坂神社の祗園祭

五台山三ツ石地区 八坂神社の祗園祭の御神幸

高知市五台山三ツ石地区にある八坂神社の祗園祭。高知県下で最も早い秋祭りとして知られており、毎年、9月第一日曜日に行われます。2012年で130年目となりました。

祗園祭とは

平安時代の西暦869年、日本全国に広がった疫病退治の願いをこめて、京都の町の人達が手に持った鉾を天に突き上げて練り歩いたのが始まりといわれています。

五台山三ツ石地区 八坂神社の祗園祭

江戸時代の元禄10年頃、京都の八坂神社から御神体をいただき、現在の五台山三ツ石の八坂神社の地に祀ったそうです。

明治11年、地区に疫病が発生し、それを収めようと、翌年の明治12年から祗園祭を始めたそうです。

そして、明治15年から当家として「大当」を置き、山腹にある八坂神社からの御神幸で地区を練り歩く間の休憩所としました。1998年からは当家制度を改め、「御旅所」として門出の三ツ石公民館を中心に、東西に各一箇所設ける様になりました。

2010年からは地区の高齢化等の事情により、山腹にある八坂神社から御神輿を三ツ石公民館に移しました。そして、お供と御神輿は三ツ石公民館で御霊がお越しになるのを待つ事になりました。

御神輿が通る通りに張り巡らされた注連縄 注連縄には土佐青と榊が交互に付けられていた 八坂神社本殿

八坂神社での神事

2010年以降は、五台山山腹にある八坂神社に上がって行くのは、三ツ石公民館長、宮総代、神官さんのみ。御神輿のお供の人達は公民館で待っています。八坂神社での神事を行うため、お供え等を持って公民館長や総代さん等が山道を歩いていきます。80過ぎの総代さんが、私よりもさっさと山道を上がっていくのには感心しました。

鬱蒼とした木々の中にある本殿はこじんまりとしたお社で、拝殿とを繋ぐ階段に屋根がなく、神事の為にゴザを敷いたり、お供え物を並べたりしていました。そして、神事。神官さんの手により神様の御霊が木箱に移され、麓の公民館前に鎮座している御神輿までお運びされました。

そして、三ツ石公民館前で神事を行い、八坂神社からお連れした御霊を御神輿にお移ししました。

八坂神社参道 八坂神社での神事 三ツ石公民館前での神事

威勢のいい御神幸

御神幸の始まる前に、子どもが叩く太鼓に合わせて、子どもによる獅子舞が行われました。今までは、ずっと獅子舞を踊るのは男の子と決まっていたそうですが、2012年は女の子二人が暑い中頑張っていました。年頃の男の子が地域にいないからだそうですが、時代の変化かもしれません。

獅子舞 御神幸出発前 御神輿

御神幸は、ちょうさ台、塩水、法螺貝、弓2人、鉄砲2人、旗2人、鳥毛2人、羽熊2人、太鼓、榊台、鉾2人、お傘指、神輿台、御神輿と続きます。木遣り歌を昔は歌っていたという事でしたが、今はカセットテープで流しながら御神輿を担いで、ゆっくりとゆーら、ゆーらとしていましたが、「そーれ!」という、さきやりの掛け声で、「チョーサ!、チョーサ!」という威勢の良い掛け声と共に、御神輿を左右にグオン、グオン。あまりに激しく揺らすので、さきやりが「こらーっ、そんなに揺らすなー!神輿が壊れる!」と、御神輿を押さえていたのが印象的でした。そして、揺らし終わったら、すごい勢いで御旅所に向かって御神輿は走っていきました。これは、きっと神様は楽しいでしょう。

神輿と鼻高 鼻高 東の御旅所での神事

地区に根付いたお祭

ちょうさ台はきれいに飾り付けられ、小さな子ども達が楽しそうに引いていきました。樽神輿も子供たちが担いでいきました。獅子舞や獅子舞の太鼓は小中学生、鼻高は高校生がしっかりと努めていました。御旅所では、冷たい飲み物やスイカ等が振舞われて、すごくいい雰囲気のお祭でした。

榊台から榊の枝を頂き大切に持って帰る住民の姿や、自宅の庭や門の前で御神輿に手を合わせる人もいらして、まだまだ、いい意味での信仰心がこの地域には残っているのだな、と思いました。

ちょうさ台はきれいに飾り付けられ、小さな子ども達が楽しそうに引いていきました。樽神輿も子供たちが担いでいきました。獅子舞や獅子舞の太鼓は小中学生、鼻高は高校生がしっかりと努めていて地域に根付いた素敵なお祭でした。(2012年9月)

西の御旅所に向かう御神幸 榊台 ちょうさ台

追記

2015年9月14日の高知新聞朝刊で、「五台山みこし136年で休止」と報じられました。残念ながら2015年は神輿も獅子舞もなく、神事のみとなったそうです。休止なので、再び神輿や獅子舞が行われることを期待しています。(2015年10月)

動画

全体の流れを写真と動画を組み合わせて作ってみました。

↑ページトップへ

BACK
Copyright © 1996-生活創造工房 All rights reserved.