土佐神社の志那祢様

しなねさまの様子

高知市一宮(いっく)には土佐神社があります。毎年8月24日、25日に、この土佐神社で行われる「大祭」を高知市の人は親しみを込めて「志那祢様(しなねさま)」と呼びます。24日の夕刻からは長い境内に多数の露天商が軒を連ね、たくさんの参詣人で賑わいます。

この「志那祢様」は、土佐三大祭りのひとつと言われています。また、高知では「夏は、輪抜け様に始まり、志那祢様で終わる」とも言い、季節の移り変わりを感じるひとつの行事でもあります。

土佐神社

土佐神社は、土佐の総鎮守で、460年の創建と伝えられています。本殿、幣殿及び拝殿は長宗我部元親、鼓楼、楼門は山内忠義(二代藩主)の建立で、これらは国の重要文化財に指定されています。尚、御祭神は味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)、一言主神(ひとことぬしのかみ)です。

詳しくは、土佐神社の公式ページをご参照下さい。

志那祢の語源

土佐神社の公式ページによると『旧暦七月三日の祭です。しなねの語源は諸説あり、七月は台風吹き荒ぶことから風の神志那都比古から発したという説、新稲(しいね)がつづまったという説、さらに当社祭神と関係する鍛冶と風の関連からとする説等があります。』ということです。

宵宮

24日は宵宮です。参道にたくさんの屋台が出て多くの参詣人で賑わいます。境内では、池川神楽が奉納されていました。神楽の他にも太鼓等も奉納されるそうです。参詣人は、神楽や太鼓等の奉納よりも夜店の賑わいを楽しみに来ていると思いますが、神殿では厳かに神事が行われているのです。

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御神幸

25日の午後3時から、御神幸(おなばれ)が行われます。この御神幸は日中にもかかわらず明かりをともした松明を持って行きます。これは、昔、浦の内(現須崎市)の鳴無(おとなし)神社への御神幸の帰りに風雨が強くなったため、磯伝いに帰っていると、途中、狼に襲われ、とっさに松明を振りかざし、狼を追い払った古事に基づくそうです。現在は、参詣人の家内安全、悪魔払のためといわれています。

現在では、浦の内の鳴無神社まで御神幸に行かず、一宮の一本松の御旅所に徒歩で行く御神幸で、これを「船上がりの御祝儀」と呼んでいるようです。24日の夜店が連なる志那祢様はとても賑やかですが、一度だけ見た25日の御神幸は、とても荘厳な感じがしました。

御神幸(おなばれ)の変遷

古代には一宮の土佐神社から浦の内の鳴無神社まで御神幸が行われていました。しかし、既に書いた様に帰り道に狼に襲われたことから、江戸時代に五台山の北西の麓に土佐神社離宮(小一宮・こいっく)という御旅所が設けられ、船渡御しをするようになりました。

明治13年、現在の一本松にお旅所を建立して、徒歩で御神幸が行われるようになりました。

鳴無神社や土佐神社離宮までの御神幸は行われなくはなりましたが、土佐神社で志那祢祭が行われる8月24日、25日は両神社の志那祢祭の日でもあります。特に、鳴無神社では25日の午後は浦の内に大漁旗をなびかせた船を浮かべて勇壮な御神幸(お船遊び)を行います。

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